へザー・マリア・ナオミ

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Tuesday 11 November 2014

サコとベベ

「情事」を開くと最初に、Pour Saco et Bebe と当時最も仲良く、
彼女が「情事」を書くのにサポートをしてくださった
二人の友人へのささげの言葉がフランス語で書いてあります。


サコ、そしてべべ。
私の子供時代、存在感が大きかった母の二人の親友。

お互い、たぶん会ったことがないながら、
「情事」を通して、そして母を通して二人つながっています。

時には「情事」のなかのどこかでモデルになったり、相談相手になったり、
母が初めての小説を書いていた時にサポートをしてくださった二人です。

べべは大学時代からの仲良しグループのメンバーの一人。
アーティストやミュージシャン、詩人など、かなりアヴォンギャルドな
仲間達でみんな、べべとか、ムッシュとか、ファンファンとか不思議な
呼び方を持っていました。
母の呼び名は「マコ」。
マサヨが何故マコになったのかなんとなく分かるような、
分からないような気がするのですが、
きっとローマ字ではMako ではなく、
キザにフランス語風にMacoと書いたのでしょうね。

当時のアルバムに描いたその仲間達のイラストです。


サコは私が子供の頃に出逢った友人。
サコの当時のダンナ様はアメリカ人で私達の父と仲が良く、
二人の娘を含めて家族ぐるみのお付き合いでした。

週末は三崎で一緒、夏は軽井沢で一緒といった、
年中仲良くおつきあいをさせていただいた一家。
同じように国際結婚、そしてハーフの娘たちを持ち、
大学でフランス文学を学び、そんな関係のお仕事をされていたサコとは
母とはとても気が合う友人でした。

サコとベベ、いちばん印象的だったのが、
二人ともとてもオシャレでかっこいい女性達だったこと。
サコはフランス語がぺらぺらでファッションもまさにパリジェンヌ。
べべはファッション関係のお仕事をされていたぐらい素敵な女性。

そんな二人のセンスに母も憧れがあったのか、よく真似をしていました。
トレードマークのひとつにもなった頭のターバンや
大きなアクセサリーの付け方もサコから学び、
それを自分流に工夫するようになりました。

やがてベベはアメリカへ移り、サコはパリへ。
もし母も今生きていたらきっと彼女も
今頃は少なくても一年の半分は海外で暮らしていたのでしょう。
(残り半分は、与論でしょうかね?)

サコの娘たちとは今でも仲がよく、家族ぐるみで遊んでいます。
そしてこの数年間、パリでデザイン関係のお仕事をされているサコの
日本でのお仕事を時々お手伝いさせていただいています。

実はちょうど今週、サコの紹介で知り合ったフランス人の
テキスタイルデザイナーと会っていて
サコの話になり、「情事」が彼女に捧げられたことを
思い出したのです。

ちなみに、母の3作目の「嫉妬」をお持ちでしたら
ぜひ最初をご覧になってみてください。  
「母に。そしてわたしの娘 Heatherに」と書いてあります。

何故、「嫉妬」が私と祖母に捧げられたのか、聞いてみたかったです。


母のかっこいいお友達自慢でした。
by Heather

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